五十番食品の歴史2 ~新事業へのチャレンジ~
前回の記事「五十番食品の歴史1 ~創業時代~」では、創業の経緯から工場長と常務が入社するまでをお伝えさせていただきました。
今回はその続きです。
五十番食品の餃子の売上が順調に伸びる中、父はもつ鍋屋さんを始めるも1年で閉店、昭和54年頃にまた別の事業を始めることになります。
それがお弁当屋さん。
しかも当時はどこもやっていなかった「温かいお弁当」の販売を始めることになります。
名前は「ミスター弁とん」。
弁とんだけに「弁慶」の絵をキャラクターにし、福岡の各地域にプレハブの直営店を5店舗ほど構えて、スチーマーで温めながら温かいお弁当を売るということを始めました。
お弁当のおかずは専属の社員を置いて夜中に仕込み、早朝各店舗に配達していたそうです。
今ではほか弁などが温かいお弁当を販売していますが、当時温かいお弁当を販売するところなんてどこにもなく画期的なアイデア。
食の専門雑誌に載るなど話題になったそうです。
アイデアは画期的でしたが、常務曰く、なかったのが「資金力」。
2年ほど続けますが、資金が続かず弁当事業からは撤退することになります。
この時に会社は資金的にかなり苦しくなったそうで、父はひとつひとつの業者様に支払いについてのお願いに回ったそうです。
この時に助けてくれた業者様で今でもお取引のある会社がいくつかあります。
本当にありがとうございます!
当時はどこもやっていなかったほっかほか弁当の先駆け的なこと始めた父。
父はどこから温かいお弁当を売るなんてことを発想したのでしょうか?
常務や工場長、母が口を揃えて言うのは、「社長は時代を先取りしすぎていた」。
資金力があり時代もマッチしていたら大成功していたかもしれません。
そんなアイデアマンの父を本当に尊敬します!
弁当事業から撤退し資金繰りが苦しい時期もありましたが、餃子の売上は順調に伸びていました。
そんな中、父はある「大きな決断」を下すことになります。
・・・続く。